境内・堂内案内
GROUNDS中興・貞傅は元禄3年(1690)今別の生まれで
當寺2世(後に弘前・誓願寺8世)の安貞上人に師事し得度、
宝永元年(1704)より磐城・専称寺での15年の修学を経て郷里へ迎えられ當寺5世となりました。
その布教の様子は「貞博上人東城域念仏利益伝」上下二巻にまとめられ、
念仏の功徳による数々の行徳を讃える内容がつづられています。
また、北海道との縁も深く有殊・善光寺の住持をしたとも伝えられ、
仏像・書画等が地域のみならず北海道に至るまで各地に残されている。
小樽市の曹洞宗・宗圓寺の本尊及び五百羅漢の作成にも関与したとされています。
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山門から
山門から
- 二百有余年を本堂玄関右側にあった竜灯の末は平成11年に伐採した。
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本堂玄関
本堂玄関
- 本堂玄関は明治21年大改修時に新調されたものである。
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内陣全景
内陣全景
- 阿弥陀如来の四十八願になぞらえまして四十八灯を輪違いの寺紋様にしつらえて月々の行事に供えさせて頂いています。
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外陣から
外陣から
- 明和の大地震(1771)に本堂・庫裏が半壊、青銅塔婆も倒されたと記されたほどである。数回の補修し凌ぐも、明治21年大改修して今に至る。
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庫裏全景
庫裏全景
- 庫裏は明治30年代に旧一本木村大泊の網元・木村家宅を移築したものである。(玄関先に旧家主の大きな神棚がある)
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旧大佛殿
旧大佛殿
- 27世純導が発願し、渡道数回の業半ばにして病に倒れるを遺弟28世雄導が明治41年大仏殿とともに落慶開眼する。が、惜しくも昭和29年春の大火で堂宇とも灰燼と帰す。
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再興した大仏
再興した大仏
- 昭和49年29世圓導が青銅で再興する。
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青銅塔婆
青銅塔婆
- 海に精通し育てる漁業を勧めたことから漁師に崇められた5世貞傳の青銅塔婆(県重要文化財)の墓。尚、青銅塔婆の右側面に当時としても珍しい「二十一字増 阿弥陀経」が刻されてある。
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石の墓
石の墓
- 13世愍栄の亀の背に乗った石の墓。